大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和56年(特わ)146号 判決

本藉

東京都北区赤羽二丁目二五〇番地

住居

同都北区赤羽二丁目四〇番一号

外科医

吉田英夫

昭和五年一一月六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官岡崎芳高出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年六月及び罰金四〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都北区赤羽二丁目四〇番一号において、「吉田外科医院」の名称で医業を営んでいるものであるが、自己の所得税を免れようと企て、架空の仕入を計上するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

第一  昭和五二年分の実際総所得金額が一億〇〇五三万二六四三円(別紙一修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五三年三月一四日、東京都北区王子三丁目二二番一五号所在の所轄王子税務署において、同税務署長に対し、同五二年分の総所得金額が一六一〇万七五八六円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額三六三万九一三八円を控除すると一一〇万九三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(昭和五六年押第七八五号の1)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五六〇三万三三〇〇円(別紙四税額計算書参照)と右申告税額との差額五四九二万四〇〇〇円を免れ、

第二  昭和五三年分の実際総所得金額が九一一五万九八二九円(別紙二修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五四年三月一四日、前記王子税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が一三四七万一二七九円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額三二八万八三二七円を控除すると二三万七〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の2)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額四九九七万四六〇〇円(別紙四税額計算書参照)と右申告税額との差額四九七三万七六〇〇円を免れ、

第三  昭和五四年分の実際総所得金額が六四八六万八八七一円(別紙三修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五五年三月一四日、前記王子税務署において、同税務署長に対し、同五四年分の総所得金額が一〇五〇万円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額二〇九万四三一七円を控除すると一七万四七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の3)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額三二二二万四八〇〇円(別紙四税額計算書参照)と右申告税額との差額三二〇五万〇一〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の検察官に対する供述調書二通

一  収税官吏の被告人に対する質問てん末書六通

一  宮尾正弘及び角川英樹の検察官に対する各供述調書

一  収税官吏の宮尾正弘(二通)及び角川英樹に対する各質問てん末書

一  収税官吏作成の社会保険診療報酬(二通)、自由診療収入(二通)、雑収入(二通)、たな卸高、仕入(二通)、租税公課(二通)、その他経費、水道光熱費(二通)、旅費交通費(二通)、通信費、広告宣伝費(二通)、接待交際費(二通)、損害保険料(二通)、修繕費(二通)、消耗品費(二通)、減価償却費(二通)、固定資産、福利厚生費(二通)、給料・賃金(二通)、利子割引料(二通)、支払手数料(二通)、諸会費、会費、新聞図書費、賄費、消耗材料費(二通)、検査料(二通)、研究費及び雑費(二通)に関する各調査書

一  東京都医師協同組合連合会及び全国医師協同組合連合会各作成の証明書各一通

一  王子税務署長作成の証明書

一  押収してある所得税確定申告書等三袋(昭和五六年押第七八五号の1ないし3)、領収証等七葉(同号の6)及びゴム印一四個(紙ケース入。同号の7)

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、いずれも行為時においては、昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の所得税法二三八条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条によりいずれについても軽い行為時法の刑によることとし、いずれも所定の懲役と罰金を併科し、かつ各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年六月及び罰金四〇〇〇万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用し、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとする。

(主な争点についての補足説明)

一  重加算税のほかに罰金刑を科することについて

弁護人は、重加算税のほかに罰金刑を科することは二重処罰にあたる旨主張するが、これが憲法三九条後段に違反しないことは、つとに最高裁判所の判例とするところであり(昭和三六年七月六日判決刑集一五巻七号一〇五四頁ほか)、当裁判所もこの立場が相当と考える。さらに、補足すると、懲役刑に併せ罰金刑を科することは、その反面において、宣告する懲役刑の刑期を短くし、あるいは懲役刑に執行猶予をつけることにもつながるなどして、量刑上被告人に有利な影響を及ぼすこともある。罰金刑の量刑にあたっても重加算税の額等が参酌されているのであるから、重加算税が賦課されているにもかかわらずさらに罰金刑を科することが弁護人のいうように被告人の利益を不当に害するとはいえないのであって、いずれにしても弁護人の主張は理由がない。

二  租税特別措置法二六条(当時各施行のもの。以下同じ。)の適用の可否について

本件各年分の実際所得金額の算定にあたっては、租税特別措置法二六条の社会保険診療報酬の所得計算の特例は適用していない。これに対して弁護人は、「通常一般納税者は、租税計算において有利な取り扱いがある場合においては、その有利な取り扱いに基づいて必要経費を計算し、なるべく所得を少なくして節税をするという慣行があるところ、被告人においては右優遇税制上の七二パーセントの経費にもあきたらず、それ以上の経費を計上して所得が少なくなることを期待したものの、仮に実際の必要経費が右七二パーセントを下回った場合には、同条一項の特例規定を適用して事業所得金額を計算したであろうことは経験則上容易に推定できる。また、被告人は各年分の青色申告決算書付表のうち、同条による必要経費の計算に関する部分の欄外に署名押印をしているものであって、このような場合同条を適用して実際所得金額を算出すべきである。」と主張している。

ところで、租税特別措置法二六条一項の規定は、医業又は歯科医業を営む個人の社会保険診療報酬の所得計算につき、一般の事業所得の金額の計算の例外として、右報酬の七二パーセント(但し、昭和五四年については同年法律第一五号租税特別措置法の一部を改正する法律附則一〇条所定の率による。)を必要経費に算入できる旨の特例を認めたものであり、その特例の適用を受けるためには、右一項の規定により事業所得の金額を計算した旨を確定申告書に記載する必要があり、その記載がない以上、右特例は適用しない旨が明文をもって規定されている(同条二項。但し、前期改正後は三項。以下同じ)。そして、本件で提出された各確定申告書の特例適用条文欄はいずれも空白のままであって、その他申告書中には、特例適用をうかがわせる記載は全く見受けられない。もっとも関係証拠によれば、弁護人指摘のように、本件で確定申告書のほかに提出された(なお、昭和五四年については、同年四月一日に修正申告書と同時に提出されている)青色申告決算書付表の1の裏面をみると、欄外に「租税特別措置法第二六条の規定を選択した方だけが記入してください。」と不動文字で印刷されているところ、その昭和五二年及び同五三年分については必要経費の計算の内訳としていくつかの数値が記入され、かつ、欄外に被告人の署名押印がなされており、また同五四年分については、欄外に署名押印のみなされていることが認められる。しかし、その余の記載を参酌しつつ検討すると、それらは、特例規定選択の得失を判断するために、同条一項の規定を適用した場合とそうでない場合とを比較して記入したものにすぎないと認められるのであって、特に本件においては、いわゆる措置法差額が計算上負の数値となっていて同条の規定を適用しない方が有利となることが確定申告上明白となっているのであるから、これらの記入をもっても同条一項の規定の適用を選択した旨の記載があるとは到底いうことができない。また、本件は、被告人が脱税目的のために領収証の偽造等をして経費を水増ししたために特例を適用しない方が有利になったというものであって、特例規定の選択を決するにあたって錯誤があったともいえず、たんに将来脱税の摘発を受けて実質経費が判明するかどうかについての見通しを誤まっただけであるといえる。結局において、本件においては同条一項の規定を適用すべきではなく、弁護人の主張は採用できない。

なお、これに関連していわゆる措置法差額分について、弁護人主張のごとく実質的な違法性を否定するような理由は認められない。

三  架空人件費計上に伴う源泉徴収税納付分を所得金額から控除することの可否について

弁護人は、本件において被告人は、架空人件費を計上し、それに対応して給与支払者すなわち源泉徴収義務者として源泉徴収税を国に納付しているところ、右架空人件費が否認された以上右納付にかかる源泉徴収税額についても過誤納付金すなわち不当利得として還付を受けられるはずであるのに、未だ還付を受けていないのであって、もし還付がなされないとすれば、それに相当する金額については、右架空人件費、ひいては所得金額より控除すべきであると主張する。

しかしながら、右源泉徴収税額の納付は、被告人が架空人件費の支払をもっともらしく見せ、脱税の発覚を防止するためにしたものにすぎず、これをもって収入金額を得るために必要なものとはいえないから、右還付の有無にかかわらずこれをいわゆる必要経費とみるべきでないことはいうまでもなく、その他いかなる意味においても所得金額から控除すべき理由はないのであって、弁護人の主張は理由がない。

四  事業税の必要経費算入の時期について

弁護人は、本件の各年分のほ脱所得に対応する増差事業税は、各翌年分の必要経費に算入すべきである旨主張する。

ところで、所得税法三七条によれば、同法上の必要経費となる事業税については債務確定主義をとっていることは明らかであるところ、個人事業税については、地方税法上普通徴収の方法により、いわゆる賦課課税方式がとられているのであるから、その賦課決定の時をもって右債務の確定があったとみるのが相当である。そして、関係証拠によれば、本件の各年分のほ脱所得に対する事業税の賦課決定は、いずれも昭和五五年及び同五六年になされていることが認められるから、その増差事業税額をもって本件対象の各年分すなわち、昭和五二年ないし同五四年の必要経費とすべきものではなく、弁護人の主張は採用できない。

(量刑の事情)

本件は、父の後を継ぎ、都内北区赤羽で外科医院(ベット数一九、看護婦一~二名)を開業する被告人において、三年度にわたり合計一億三六〇〇万円余りの所得税を免れたというものである。被告人はその動機の一つとして祖父や父が早死にしたことから自分も同様に早死にするのではないかと危惧し、あとに残る家族のことを考えた旨供述するのであるが、被告人について具体的に早死にを危惧すべき事情も窺えず、また、右のような不慮の事態には生命保険など別途の対策が可能であり、しかも医師については租税特別措置法二六条の優遇措置も認められているのであって、いずれにしても、本件脱税の動機について格別斟酌すべきものがあるとは思われない。また、犯行の態様も、みずから領収証の偽造・改ざんを行なうなどしているほか、青色申告の承認を受けているにもかかわらず経理帳簿も記帳せず、これに代えて社会保険診療報酬支払基金からの決定通知書、銀行預金入出金明細書、自由診療分のメモなどや右偽造・改ざんにかかる領収証等を顧問税理士に渡したうえで、これに基づいて確定申告の原案を作成させ、その原案作成の段階において、さらに所得額を減らすべく、経費洩れがあったとして偽造・改ざんにかかる領収証を税理士あて追加提出して右原案を組み替えさせるなどしているのであって、悪質・巧妙というべきである。ところで弁護人は被告人には一般人程度の経理素養しかなく、それゆえに資格ある税理士を委嘱し経理処理をまかせたにもかかわらず、税理士事務所の無資格者が被告人から受け取る領収書などについて充分な検討も加えず機械的に処理していたため、結果的に脱税額が膨んでしまったなどと主張するが、かりに顧問税理士が信頼できないのであれば、被告人としては、他の税理士を選任することは充分可能であったのであり、後記のように税務調査等を受ける度に税理士を替えていたことなどに照らすと、かえってこのような乱雑な経理処理自体まさに被告人の意に沿うものであったのではないかとすら窺われるのであって、いずれにせよこの間の事情が被告人に特に有利に働くものとはいえない。そして、本件によって免れた所得税額もかなり高額であり、ほ脱率(但し、源泉徴収分も考慮に入れたもの)も各年度とも九〇パーセントを越えていること、加えて被告人は、これまで数回にわたって税務調査を受け昭和四七年以降毎年分について修正申告を余儀なくされ、その度ごとに税理士を替えて再度脱税に及んでいるのである。弁護人は、わが国の所得税の累進税率が極めて高いと主張するが、その当否はともかくとして、医師は現行税法上優遇を受け得る立場にあるのであって、それにもかかわらず脱税に及んだ点は強い非難を受けても止むを得ないといえるのであって、以上の諸点に照らすとその犯情は重いといわねばならない。

しかしながら、他方、判示にもあるように本件では租税特別措置法二六条による必要経費算定は認められないものの、もともと同条による処理が可能であったという意味においては情状として酌むべき点もあり、犯行後各年分につき修正申告のうえ本税・重加算税・延滞税等のすべてを納付していること、本件犯行が世間に報道されそれなりの苦痛も味わっていること、被告人には前科・前歴もなく、外科医として救急業務など公共のためにも貢献をしてきたこと等被告人に有利な事情もみられ、その他反省の程度、家庭の事情等本件にあらわれたすべての事情を総合考慮し、主文のとおり量刑する。

(起訴状謄本送達の有無について)

弁護人から被告人が本件起訴状謄本の送達を受けていないと述べている旨の申し出があったので、当裁判所は、職権をもってこの点に関する事実の取調べを行なったが、本件については有効な送達があったものと認められる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 久保眞人 裁判官 川口政明)

別紙一

修正損益計算書

吉田英夫 No.

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

別紙二

修正損益計算書

吉田英夫 No.

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

別紙三

修正損益計算書

吉田英夫 No.

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

〈省略〉

別紙四

税額計算書

〈省略〉

※1 98,550,000×0.75-14,240,000=59,672,500

※2 90,004,000×0.75-14,240,000=53,263,000

※3 63,656,000×0.70-10,240,000=34,319,200

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例